営業人インタビューvol.1

ハートアンドブレイン株式会社 代表取締役社長 村上和德氏

Q.営業人、そして経営者としてのこれまでのキャリアについて教えて下さい。

大学卒業後、新日本証券に入社し、大阪の梅田支店に営業として配属されました。1年目に同期300名の中でトップセールスとなりました。

翌2年目は、大阪地区3000名の中でトップとなり、3年目の夏には全社8,700名のトップセールスとなりました。その年に会社が新日本証券40年史を編集しており、その中に「経営者とトップセールスの対談」という特集があったので当時の社長と対談したのですが、社長はトップセールスが入社3年目の私と聞いて、あまりの若さに驚かれていました。

その後、チェース・マンハッタン銀行にヘッドハンティングされて、プライベートエクイティの仕事に携わりました。プライベートエクイティとは、簡単に言うと企業を買収し、育てて、売却するという仕事です。私は日本市場の責任者として働いていたのですが、そこで与えられたミッションは、ある南米の会社を買収するための資金50億円を日本の機関投資家から集めることです。

その当時日本でプライベートエクイティに対する認知が全くなかったため、入社後半年間は全く資金が集められませんでした。

しかしながら、さまざまな方々へ提案活動を続けていく中でご縁が繋がり、某総合商社から50億円の出資を勝ち取りミッションを達成しました。ミッションを達成した後、そのまま残っても良かったのですが、投資銀行での仕事が本当に一生を通じてやり遂げたい仕事なのかと自問自答したところ、そうではないと考えたため退職をしました。当時29歳のことです。

退職後はどこで働くかさまざま模索したのですが、人生一度きりだからと現在弊社エグゼクティブ・パートナーの高橋と2人で起業することを決意しました。起業にあたって、高橋とは日本に足りないものは何かという問いを立てて、毎日議論をしていました。2人でたどり着いた答えが、「日本にいないのは世界に通用する経営者と、一流の営業人材だ。」でした。そこで、世界に通用する経営者と一流の営業人材を育成するお手伝いをしようとハートアンドブレインを立ち上げました。

現在は、成績低迷者を再生させるコンサルティングを中心に、人材開発支援を行っております。弊社のプログラムを受けた多くの営業人材の業績が向上しているので、お客様とは長いお付き合いをさせていただいております。

Q.営業人材として常に素晴らしい成績を残されているのですが、そのために工夫されたことはどんなことですか?

それは一言、「量をこなすこと」です。私は入社1年目に、TELコールを200件/日、飛び込み100件/日をやり続けました。何故これをやりきれたかというと、それは先輩から言われたことに起因しています。それは、「営業はバカではできない。営業は利口でもできない。中途半端はなおできない」という言葉です。言い換えれば、営業は突き抜けるほどにやりきらないと、結果が出ないということです。なので、最初の1年目はとことんやりきりました。それが結果として1年目から3年目までトップを取り続けることにつながったんです。

結果だけ見ると、私に特別な力があったからできたと考えられる方が多いです。でもこの考えは全部とは言えないですが、間違っています。私の圧倒的な行動量が質の高い営業行動を生んだのです。私は1年目に圧倒的な量をこなすことで、さまざまなお客様の対応方法について経験値を蓄積することができました。それが翌年以降に活かされただけです。

1年目にあれだけの量をこなさなかったら、2年目の質の向上はなかったと思います。トップセールスになったという結果だけを見ると、すごく華やかですが、その裏側にはとてつもない量の失敗も繰り返し、乗り越えてきたという事実があるのです。

私がとてつもない量の失敗も繰り返していたことを示すエピソードとして、私が社内で最も始末書の書き方がうまいので、先輩方がよく私に始末書の書き方を聞いてきたということがあります。私は、トップセールスになるまでに誰よりも多くの失敗も繰り返していたとも言えるのです。現在は量が質を生むという考えに至っていますが、今思い返してみると、当時はそんなことは思ってもいなくて、ただひたすらにトップを取るんだと強く思い続けて行動を続けていました。

Q.並々ならぬ努力と苦労を重ねた結果が全社トップ、そしてその後のキャリアにもつながっていたのですね。なぜ、そこまでのことができたのでしょうか?その当時村上さんの力の源はどこにありましたか?

1つは、ここまでやっているんだから2位は絶対に嫌だということです。営業人材には“悔しい”という感情は重要だと思っています。“自分はこんなもんじゃない”とか“自分はもっとできるはず”といった気持ちが営業成績を向上させる上では必要不可欠だと思っています。

逆にそれがない人は、営業成績を上げるのは難しいです。

もう1つは、営業を楽しんでいたということがあると思います。営業活動を通じていろんな方とつながることができました。当時は、お客様が喜ぶことは何か考えて、それをすることを楽しんでやっていましたね。そのおかげで、新日本証券時代にお付き合いのあった方々とは20年以上経った現在も交友関係があります。

Q.誰にも負けたくないという思いと、営業という厳しい仕事を楽しむことで、行動を続けられたんですね。逆に村上さんでも営業をやめたいなと思ったことはあったのでしょうか?営業としてのどん底期やピンチと、それを乗り越えたエピソードを教えて下さい。

実は新日本証券時代に、営業活動をやめていた時期がありました。新規開発キャンペーンを会社全体でやったときに、私達のチームは営業人材5人に対して、1ヶ月で125社開拓のノルマを課されました。

1日1人1社獲得しても間に合わないとてつもなく高いノルマです。私達のチームは見事ノルマを達成し、全社でもトップの成績をとりました。それはとてもよかったのですが・・・。

全国トップをとったので、本社の営業推進部長が大阪にきてご褒美をくれるという話になったのです。どんなご褒美がもらえるのかと楽しみにしていたのですが、そのご褒美はなんと、中華料理屋の900円のランチだったのです。

そんなことで・・と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、私達はこの対応をみて、会社からは大事にされていないと思いました。こんなに頑張っているのに、上司からの評価がこれだけかと馬鹿らしくなって、それから10日間営業活動をやめました。

でももう1度営業をやり始めたのは、そんなダメな上司が上に立てないくらい、自分が上にいってやるという反骨精神でした。もっともっと成績を上げて、あんなどうしようもない上司が上にいられないようにしてやろうと。やはり、そのときも、「自分はこのままでは終われない」といった悔しさとかがエネルギーとなって、以前よりも営業活動をすることができました。

また、ピンチというと先程も申し上げたように枚挙にいとまがないです。先輩方が聞きに来るくらい始末書を書いていたわけですからね。例えば新日本証券時代では、お客様からお預かりした資金22億円が、運用を失敗したことで1億8千万円まで減ってしまったということや、あるお客様の言葉を信じて株券を確認せずに売りに出したら、お客様が持っていたのは違う会社の株券だったこと等が挙げられます。

中でもお客様から預かった22億円を1億8千万円まで減らしてしまったときは、本当にピンチでした。もし取り戻せなかった場合は、お客様に自分の一生を捧げるという念書を書いた上で、死物狂いで情報を集めました。当時はバブル崩壊後で、国内の株では運用が難しい状況でした。私は外国株に目をつけて、これから伸びる会社を探したのです。そこでマレーシアの木材加工貿易会社が上場するという情報を掴みました。

私はその情報の確実性を探るため、シンガポール支店長にマレーシアまで行ってもらい、情報収集をお願いしてきたのです。普通は、支店長クラスの人が、入社3年そこらの若手社員のお願いを聞いてくれないのですが、私がトップセールスだったことから信じて動いてくれたのです。

結果は見事にその株が高騰し、1億8千万円から18億円まで戻すことができました。

また、チェース・マンハッタン銀行の時も、入社半年間は全く資金を集められずに、クビになることを覚悟していました。当時日本の機関投資家の間では、プライベートエクイティが認知されていなかったこともあり、誰も投資を決めてくれませんでした。

最初は、自分の伝え方が悪いのか、これを理解してくれないお客様が悪いのかわかりませんでした。でも、行動をしていく中で伝える相手さえ見つけられれば投資してもらえる確信もあったので、本社に対して「このプロジェクトは私ができなかったら、誰がやっても無理だ」とまで伝えて、行動を続けました。

そんな中、たまたまコンベンションで知り合った総合商社の方にこの提案を持っていったら採用されて、課せられたノルマの50億円を投資していただくことになりました。私はこのピンチを乗り越えられた要因として、常に失注した理由をお客様に聞き続けたことが挙げられると思います。

失注するには理由があります。営業という仕事では、よほどの不義理をしていない限りは人間性を否定されて失注するということはないです。失注理由を聞けば、改善することができます。また、失注礼状を書くなどして、失注したときほど丁寧に対応するということをやってきました。

私が指導している成績低迷者で、何も行動していないのに悩んでいる人が多いです。私はやれること全てをやった上で悩むべきだと思っています。私は自分がやれることは全てやりきることで、ピンチを乗り越えてきました。

Q.ご自身は、どんなときも立ち止まることなく行動し続けることで、ピンチも乗り越えてこられたんですね。では、営業成績低迷者を指導する上で気をつけられていることはありますか?また、できる営業とできない営業の違いはどんなところにあるでしょうか?

私どもは、プログラム開発にあたって営業研修を提供している同業他社の内容は参考にしていません。なぜなら、営業は行動が伴わないと業績につながらないからです。なので、私どものプログラムは、北米のトップアスリートの指導方法を参考にしました。正しい営業行動ができるようにならないと結果が出ない営業人材の指導は、アスリートの指導に近いと感じています。

プログラム開発にあたっては、アスリートの指導プログラムを作成している方と対話をしていきながら、どうやったらその気になるのかとか、どうやったらできるようになるのかなどを参考にしながら開発を進めました。

また、私どもは毎年お客様の営業組織のトップセールスとボトムセールスの調査を基に営業人材育成の研究をしています。世の中で出来上がっているイメージとして、モチベーションと営業成績は関連しているということが挙げられますが、実際に調査をしてみたら全く関連していないことがわかりました。

モチベーションが高い成績低迷者はたくさんいますし、モチベーションは全く高くないのに、期末になると数字を揃えてくるという人もいるのです。また、トップセールスの性質は体系化できないが、結果が出ない人の性質は体系化できるということも調査からわかりました。

そこで、私どものプログラムでは成績低迷者がしてしまう行動とは逆の行動を、具体的なやり方として(私どもはこれをDo Howと言っています)伝え、その方ができるようになるまで指導しています。

成績低迷者のやってしまいがちな行動の1つとして、会う人全てを見込み客にしてしまうということがあります。私どものプログラムでは、そういった方に対し“適格見込み客リストづくり”と、見込み客にとってわかりやすいトークの作り込みを指導しています。

具体的な事例として、某情報系大手商社様での取り組みが挙げられます。その会社様ではLEDを新たな商材として販売活動に取り組んでいましたが、なかなか結果が出ていませんでした。

私が、営業人材を集めてどこに売り込んでいるのかをヒアリングしたところ、自社の豊富な既存客リスト(88万社の取引実績がある)全てに対して営業活動しているとのことでした。私は、既存顧客への営業はやめさせて3つの新規顧客に絞りました。

その3つとは、ホテル、工場、中廊下のあるマンションです。理由は1つ、LEDの効用は省電力なので24時間電気がついている場所は需要があると思ったからです。結果として、その戦略が功を奏して38億円の売上高につながりました。こういった成功体験を繰り返すことで、成績低迷者達も業績につながるDo Howを身につけていってくれました。

Q.最後に、営業人材に一言お願いします。

私は“営業とは幸福提供業である”と考えております。営業という仕事は、物売りではなく、お客様に幸福を提供する仕事です。デジタル化が進んでいる現代ですが、このデジタル化が進めば進むほど、営業人材の価値は高まっていくと思います。それは、お客様が、結果価値ではなく、プロセス価値を求めていることもあるからです。

結果価値とは、あるものやサービスの費用対効果に対する価値です。プロセス価値とは、購入までのプロセスに対する価値です。結果価値を求められる業種や製品においては、営業が人工知能に取って代わられる可能性があります。しかしながら、営業人材がお客様と関わることで、プロセス価値を高めることができます。

また、営業の働き方もこれから大きく変わっていくのではとも考えています。コンサルティングセールスの時代が終焉を迎え、顧客から信頼を勝ち取った営業が会社の枠を越え、その顧客の会社の問題解決策をまとめて提供するプロデューシングセールスの時代に突入するのではと思っています。

営業は、お客様に幸福を提供できる本当に素晴らしい仕事です。そのことを誇りに思い、また楽しんで日々の営業活動に励んでいただけたら幸いです。

営業人Black Belt とは

30年以上一定水準以上の売上を上げ続けた人、トップセールス4年以上継続の人、営業戦略、戦術、マインドに関して独自の優れた知見を持ち、営業に役立つ支援を行っている人、上記のいずれかに該当する人を指します。


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