プロフェッショナルに聞くvol.6 サイボウズ中国 総経理 増田導彦氏
プロフェッショナルに聞くvol.6
サイボウズ中国 総経理 増田導彦氏
Q1.営業人としてのキャリアを教えて下さい。
私はこれまで20年以上中国で仕事をしてきました。最初は上海で百貨店のバイヤーとしてキャリアをスタートしたのですが、2000年に北京で知人と一緒に日系企業向け文具のカタログ通販会社を立ち上げました。これが営業人としてのキャリアのスタートになります。撤退した百貨店向け文具販売会社の在庫と、そこで働いていた人材を引き継ぐ形でスタートした会社です。そこでは、日系企業のオフィスが密集する地域に倉庫を置き、注文を受けてスタッフが即日配送するサービスを提供していました。
立上げ当初は、知名度もなかったため、通勤時間にビルの下でチラシを配布したり、カタログを片手に飛び込みをしたりしていました。とはいえ、大量の在庫を持って利幅の少ない文具を日系企業に配達するだけでは利益は出ず、自ら訪問して顧客のニーズを調査し、新しい付加価値商材を探す毎日でした。そんな中、北京のオリンピック開催前の区画整理によって倉庫の強制立ち退きを命じられました。この倉庫は、対象顧客のオフィスビルから徒歩圏内だったため、輸送コストが低く効率よく配送できる利益の根幹でもありました。倉庫を郊外に移転した影響もあってか、その後の業績は伸び悩み結果的に北京から撤退することになりました。
その後も顧客を維持するために、週に2回ほど天津から100キロ以上の距離を自ら運転して配達するなどし、何とか自分の給与だけは捻出したいという思いで働いていました。
当時25、6歳でしたが、自分の給与を稼ぐことがどれだけ大変なのかを痛感した時期でもありました。
イギリス留学で再認識した“中国のビジネスチャンス”と上海人の経営者からの誘い
その後、中国でのビジネスの難しさを痛感し、リフレッシュのためにイギリス留学をしました。イギリス留学を通じて、改めて中国にはビジネスチャンスがあるということを認識しました。そんな中、以前からつながりのあった上海で日系企業向けにオフィス関連サービス業(内装、文具販売、印刷サービスなどの総合サービス)を営む中国人オーナーから会社を手伝ってほしいと声がかかりました。
彼の経営手法はワンマン型で、営業手法も昔ながらの関係構築型でした。その手法は、顧客の日本人総経理に対して手厚い接待をしたり、顧客の日系企業が地元政府との折衝で問題が発生したら仲介して問題解決してあげたりと、彼しかできない属人的な手法でした。価格設定についても、接待費を内装費や商品にのせるため、家具一つとっても驚くような価格になっていることもありました。その価格を承認した日本人総経理が在任中であればよいのですが、後任者が追加発注する際はその価格に対して説明ができないため、逆に信頼をなくすなど、様々な課題を抱えている状況でした。
そこで私は、彼に属人的な経営から仕組みを入れて組織をつくることを提案しました。彼が属人的な経営手法を選択していたのは、そもそも社員を信頼できないという考えが根底にあったからです。私は、事業にコミットする意思表示として給与をコミッション制にし、彼の会社で働くことになりました。
お客様に育てられてビジネスを作り上げた
彼の会社で私がまずやったことは、ニーズの調査です。自社のサービスに付加価値をつけるため、北京で行った時と同様、カタログ片手に日系企業に訪問して、御用聞き営業を行いました。その他に、様々なコミュニティに参加して、上海にはどんな人がいるのか、どんなニーズがあるのか、内装案件を取るためには、誰にどのようにアプローチすればよいのかなど、常にアンテナを張って活動しておりました。
また、このとき意識的に行ったことが“人づくり”です。社員それぞれに役割を与え、任せることで人を育てていきました。少しずつ、属人的な経営から組織的な経営にシフトしていき、入社前は50社程度だった取引先が、数年後には400社を超える企業と取引をするまでに拡大できました。
組織が大きくなる中で、私は常に収益を安定化するためにはどうすれば良いのかを考えていました。そこで私はとにかく、考えながら行動するということを繰り返しました。お客様からの期待に応えるために、経験のないことにも勇気をもって取り組み、それを会社のノウハウとして新しいサービスを作り上げていきました。
結果として、自社のオリジナル家具を開発して差別化をはかったり、家具をリースで提供し安定的な収益モデルを構築したりと、業務範囲を広げていきました。
その同時期に出会ったのがサイボウズの製品です。
私は友人と一緒にサイボウズの製品を販売・保守する会社を立ち上げました。その会社は後にサイボウズ社が出資し、私はそのまま会社に残り現職につながっています。
Q2.様々な苦労を重ねられてきたこれまでの営業人としてのキャリアを思い返して、常に大切にしていたことはどんなことですか?
2つあります。
1つ目は、“お客様のところに答えがある”ということです。やはり、営業という仕事は、考えているだけでは結果が出ません。考えて煮詰まってしまうくらいなら、まずお客様のところに行って、その考えをぶつけて意見をもらうほうが、より早く答えにたどり着けると思います。
2つ目は、“考えながら行動する”ことです。量は質を凌駕するといいますが、ただ闇雲に動くよりは、常に仮説を立てて行動することをお勧めします。私は相手の考えを想像することで、「なぜ」をより多く感じ、次のアクションにつなげてきたと思います。
行動こそが先の見えない未来を切り拓く
できる営業とそうでない営業の違いは、まずは行動量だと思います。できない理由を探して行動に移せない人は想像力に乏しく、どうしても視野が狭くなってしまうため、多様な顧客のニーズをつかむことができません。
未来はこれから自らが下す選択の積み重ねによって生まれ、行動でしか変えられません。
それは、必ず成功する保証はなく、行動し続ける必要があります。サイボウズも今でこそ働き方改革や、クラウドビジネスが成功している会社として評価をいただいていますが、そこに行きつくまでの過程は決して順風満帆ではなく、失敗の繰り返しでした。どんな成功体験も、あとで振り返ってみた結果であり、今なお改善を繰り返し、その時々の最適解を見つけていくことが必要であると感じています。
Q3.サイボウズ中国では、組織づくりに関して様々な取り組みをされていると伺いました。これまでどんな取り組みをされてきたのでしょうか?また、人材育成をしていく中で気をつけていることはありますか?
組織づくりにおいては常に市場の変化に対応して組織を変えてきました。2007年にサイボウズ中国設立から今までの歴史は、①立ち上げ②停滞期③改革期と大きく3つのフェーズに分けられます。
立上げ期では、まずは事業を軌道に乗せることだけを考えていましたので、育成、研修などは無縁で、インセンティブというニンジンをぶら下げて成果を評価していました。離職率が高いことも想定内とし、来る者は拒まず去る者は追わずという考え方でした。数字が伸びているときはこのやりかたでもよかったのですが、停滞期にはいると、数字に疲弊しチームにひずみが生じ、事業にも大きな影響が出てまいりました。
そこで改革期として人や組織に投資していくことに決めました。新しい事業を展開するにあたり、たくさんの失敗を覚悟しなければならず、それを許容する環境が必要と感じたためです。まずは、自ら考えて実行することを習慣化するために、メンバーにある程度の裁量を与え、本人に任せるようにしました。途中で難しいと思うこともありますが、最後までやり遂げることで、新しい学びがあり次につながると思っているからです。
その他にも、組織面では育成担当を専任で起き、研修制度、評価制度、社内の風土つくりなどをメンバーの声を聴いて実施していくようにしました。このような長く働ける制度を積極的に取り入れ、メンバーの心理的安全性の確保をはかるようにしていきました。
Q4.営業人の皆さんにメッセージをください。
営業の仕事は、色々な人と出会える仕事です。皆さんすでに自分なりの軸を持っていると思いますが、視野を広げて視座を高めるためにも、たくさんの人に興味を持って会っていただきたいです。色んな人と出会い、関わって仕事をしていく中で、その軸を太くすることができます。軸が太ければ太いほど強固であり、どこに行っても通用する営業人として活躍できると思います。
私も、常に「あなたに任せて良かった」といわれるよう日々精進していきたいと思っています。