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営業人.com代表 安藤 雅旺

渋沢栄一について

渋沢栄一は日本の資本主義の父と呼ばれる実業家です。

1840年に武蔵国血洗村(現在の埼玉県深谷市)の豪農の子として生まれました。幼少期に『論語』『大学』『中庸』など四書五経を修め、同時に養蚕、藍玉などの仕事を生家で学びます。その後従兄弟の尾高惇忠に水戸学を学び、尾高の影響を受け尊王攘夷思想に傾倒します。

そして仲間と決起し高崎城の焼き討ち、横浜外国人居留地襲撃を計画しますが、尾高の弟長七郎の説得により中止します。その後1864年に幕臣平岡円四郎に見いだされ一橋家の家臣になりますが、慶喜が将軍となったため一転幕臣の立場となります。1867年には将軍徳川慶喜の弟昭武に従い、パリ万博に随行します。この間に日本では大政奉還が起こり、幕府が崩壊しました。

帰国後いったんは慶喜とともに静岡に滞在しますが、すぐに渋沢の実力に目をつけた明治新政府から打診を受け、1869年に大蔵省租税正となります。1871年には大蔵権大丞に就任し国立銀行条例を立案します。

その後渋沢は新政府の中で銀行制度など日本社会の経済を支える新しい仕組みを構築していきます。そして1873年に大蔵省を退官し、第一国立銀行の総監役に就任。その後は官尊民卑の打破を唱え合本主義にもとづき民間の力によって数々の会社を設立していきます(渋沢が設立に携わったのは王子ホールディングス、東京海上日動火災保険、IHI、JFEスチール、東京ガス、帝国ホテル、清水建設、サッポロビールなど500余り)また彼は教育事業にも力を注ぎます。

商業教育では一橋大学のもととなる商法講習所を設立、女性の教育では東京女学館や日本女子大学校の支援、私立大学では早稲田や同志社の支援、漢学教育では二松学舎を支援しています。社会福祉事業としては社会福祉の先駆的存在となる東京養育院の運営、中国人留学生への支援、民間外交としては対米国関係、対中国関係に対して、平和的関係構築のための民間外交に尽力し対中国関係については孫文や蒋介石とも会談しています。

数々の社会事業に精力的に手を広げ、まさに自身が唱えた道徳経済合一を生涯自ら実践し偉大な足跡を残した社会事業家です。その渋沢栄一が常に重要性を説いていたのが論語と算盤の一致、士魂商才になります。

我々は今の時代を生きる営業人としてその思想を受け継ぎ実践していきたいと思います。

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