Vol.66 「夫婦と交渉 ハル・ライシャワーさんの経歴と人柄」 谷口則彦・陽子
交渉とは、ズルいものでも怖いものでもありません。限られた資源を奪い合うのではなく、むしろ大きく育てていく創造的なスキルです。自分と交渉相手、社会とをつなぎゆたかにする、これからの時代の交渉学を知ってみませんか。この番組では、対談形式で身近な事例から交渉の真の価値を皆さまにお伝えしていきます。
「夫婦と交渉 ハル・ライシャワーさんの経歴と人柄」 谷口則彦・陽子
前回に続き谷口則彦氏・陽子氏をお迎えして「夫婦と交渉」をテーマにお話を伺っています。今回は、エドウィン・ライシャワーの妻ハル・ライシャワーの人柄を、経歴とともにお話いただいています。
▼中国大陸からアクセスされている方はこちらからお聴きください。
▼中国大陸以外からアクセスされている方は下記サイトよりお聴きください。
【TODAY’S TOPICS】
◎ハル・ライシャワーの生い立ち
・父方祖父:松方正義(明治維新に参画、のちに総理大臣)
・母方祖父:新井領一郎(21歳で渡米し、生糸貿易商で成功した在米日本人実業家)
・アメリカ育ちの母の方針で小学1年で中退、自宅学習を経て小学5年でアメリカンスクールに編入
※未来の夫エドウィンとも接点(5歳違いだが同時期に在籍)
・1933年アメリカンスクール卒業後に渡米し、イリノイ州プリンスピア大学に留学
※当時は日本人女性の海外留学は容易ではなかったが、松方家は兄弟姉妹全員を渡米させた
※ハイスクール卒業アルバム「I‘ll do it.(すべて自分でやります)」
◎ハル・ライシャワーのエピソード
・大学3年時に太平洋問題調査会で通訳を務める
※日本、アメリカ、イギリス、フランスなど12か国が参加
・1937年大学卒業、7月に帰国(7月7日、日中戦争が全面化)
・1941年太平洋戦争勃発後、アメリカとの関りを持つ「要注意人物」として、終戦まで「どん底時代」を送る
・終戦直後、アメリカ人将校のJeep(1946年式 Willys Jeep CJ-2A型)を許可なく運転
・1945年9月、上京を機に「戦後初の日本人女性として免許を取得」
・日本人女性初の外人記者クラブ役員を務める
◎ハル・ライシャワーの関心事(仮説)
・「志:日本とアメリカの架け橋になること」を持って行動していたのでは?
次回、「志」の内容をお話していきます。
お聞きいただきありがとうございました。
交渉学についてより詳しい内容をお知りになりたい方は、
「交渉アナリスト」のサイトをご覧ください。
◎伝える人:安藤雅旺(あんどうまさあき)・株式会社トランスエージェント代表取締役。NPO法人日本交渉協会代表理事。「仁の循環・合一の実現」を理念に、交渉力協働力向上支援事業、BtoB営業マーケティング支援事業などを展開している。
著書:『心理戦に負けない極意(共著)』PHP出版・『中国に入っては中国式交渉術に従え!(共著)』日刊工業新聞社・『交渉学ノススメ(監修)』生産性出版・『論語営業のすすめ』生産性出版
◎聞く人:星野良太・人まず株式会社代表。コピーライター・講師。声の対談メディアWorkTeller主催。
著書:「コロナ時代に、オンラインでコーチングをはじめてみた。」
【運営】
日本交渉学協会/高い交渉力を持ち社会に貢献できる人物を「交渉アナリスト」資格として認定する活動や、交渉力向上に役立つ情報発信、企業や大学、行政機関での交渉力普及のための研修コンテンツの提供などを実施。
【関連資格】
交渉アナリスト/MBAレベルの交渉学の知識と交渉技術を兼ね備えた、交渉の実践者を認定する資格。