営業人.com代表 安藤 雅旺
渋沢栄一の思想
小山正太郎画「論語と算盤とシルクハットと刀の絵」渋沢史料館蔵
この絵は渋沢栄一が古希の祝いの際に友人である小山正太郎から贈られた色紙です。
まさに渋沢栄一の生き方を象徴する絵であります。
この絵に書かれている文章は漢学者であり東京帝国大学教授、二松学舎の創設者三島中州が寄稿したもので「論語を礎として商業を営み算盤を執りて士道を説く 非常の人、非常の事、非常の功」とあります。渋沢栄一はこのことについて著書『論語と算盤』の中でこう述べています。
「ある時私の友人が、私が七十になった時に、一つの画帳を造ってくれた、その画帳の中に論語の本と算盤と、一方には「シルクハット」と朱鞘の大小の絵が描いてあった、一日学者の三島毅先生が私の宅へござって、その絵を見られて甚だおもしろい、私は論語読みの方だ、おまえは算盤を攻究している人で、その算盤を持つ人がかくのごとき本を充分に論ずる以上は、自分もまた論語読みだが算盤を大いに講究せねばならぬからおまえとともに論語と算盤をなるべく密着するように努めようと言われて、論語と算盤のことについて一つの文章をかいて道理と事実と利益と必ず一致するものであるということを、種々なる例証を添えて一大文章を書いてくれられた、私が常にこの物の進みは、ぜひとも大なる欲望をもって利殖を図ることに充分でないものは、決して進むものではない、ただ空理に走り虚栄に赴く国民は、決して真理の発展をなすものではない、ゆえに自分らはなるべく政治界、軍事界などがただ跋扈せずに、実業界がなるべく力を張るように希望する、これはすなわち物を増殖する務めである、これが完全でなければ国の富は成さぬ、その富をなす根源は何かといえば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができね、ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめる事が、今日の緊要の務と自分は考えているのである。」
とあります。さらに著書『論語と算盤』では士魂商才に関する有名なくだりに続きます。
「昔、菅原道真は和魂漢才ということを言った。これはおもしろいことと思う。これに対して私は常に士魂商才ということを唱道するのである。和魂漢才とは日本人に日本特有なる日本魂(やまとだましい)というものを根底にしなければならないが、しかし中国は国も古し、文化も開けて孔子、孟子のごとき聖人賢人を出しているくらいであるから、政治方面、文学方面その他において日本より一日の長がある。
それゆえ漢土の文物学問を習得して才芸を養わねばならぬという意味であって、その文物学問は、書物も沢山あるけれども、孔子の言行を記した論語が中心となっておるのである、(中略)士魂商才というのも同様の意義で、人間の世の中に立つには武士的精神の必要であることは無論であるが、しかし武士的精神のみに偏して商才というものがなければ、経済の上からも自滅を招くようになる、ゆえに士魂にして商才がなければならぬ、その士魂を養うには、書物という上からはたくさんあるけれども、やはり論語は最も士魂養成の根底となるものと思う。
それならば商才はどうかというに、商才も論語において十分養えるというのである、道徳上の書物と商才は何の関係がないようであるけれども、その商才というものも、もともと道徳を以て根底としたものであって道徳を離れた不道徳、欺瞞、浮華、軽佻の商才は、いわゆる小才人、小悧口であって、決して真の商才ではない、ゆえに商才は道徳と離るべかざるものとすれば、道徳の書たる論語によって養えるわけである。」
士魂と商才の両面をしっかり鍛えていかなければならないことが述べられています。またその両面を磨くためにもっとも有効なものが『論語』であると示されています。この点はサステナビリティ經營やコンプライアンスの重要性が説かれている今も根本の思想は共通していると思います。それ故我々営業人としてのあり方(Being)としても士魂商才の姿勢を養う、そのために『論語』が非常に重要であるといえます。
現代は渋沢栄一の時代と違い日本社会においては商業を営む人が蔑まれるという傾向は少なくなった反面、経済的に成功することがすべてであるという行き過ぎた風潮も散見されます。経済的な成功を目指す中で渋沢栄一の説く不道徳な小才人にならないよう内省する必要があります。小才人として、欺瞞(あざむきだますこと)浮華(うわべははなやかだが実質に乏しいこと)軽佻(浮ついていて言動が軽はずみなこと)が挙げられていますが、我々営業人のあり方(Being)として自分自身に当てはまっていることはないか常に内省することが必要です。